夫がメンタル崩壊した理由Part12😷
ごあいさつ
こんにちは、仕事帰りのMARIです。
月曜日って、体力的にも精神的にも、なかなかテンションが
上がってこないですよね。
読者の皆さん、私に、テンションを上げる月曜日の過ごし方
がありましたら教えてくださいね。
お願いします。
話は変わり、今年は花粉の量がすごいらしいですよ。
夫のTAKAも花粉症持ちのため、朝からアレジオンを飲んで
出勤しました。
今年はコロナ禍でもありマスクが必須のため、花粉をある程
度シャットアウトできそうですが、辛いことに変わりわない
ですよね。
花粉症の方は、なるべく早く病院に行って薬をもらい対策を
しましょう!
さて、今回は第27話になります。
2カウント目、夫が34歳のときの勤務状況などについて説明
します。
サブタイトルは、
【ついにメンタル崩壊!:本庁での2年目】
になりす。
この年、夫は、1年目に派遣された部署での巨大プロジェク
トに参加する中、突然、前触れもなく、上司から、
「別のプロジェクトで、〇〇県へ行ってくれ。」
と言われ、人生初の県外派遣を命ぜられ、仕事をすることに
なります。
期間は7か月間、長かったなぁ~。
では~、レッツ・スタート!!
トイレ会議!?
前回のブログでも書きましたが、本庁勤務1年目の夫は、あ
る部署が2年にわたって実施していた巨大プロジェクトに現
場勤務員として本庁から派遣され、中核をなす仕事に就いて
いました。
夫に、
1年目で本庁の現場勤務員として巨大プロジェクトに派
遣され、働いてみて大変だったこと
を聞いてみたところ、
なにからなにまで
と前置きした上で、
・プロジェクトの全体把握と自分が携わる仕事の把握
・以前からプロジェクトに就いている同じ本庁から派遣
されている古参の現場勤務員との人間関係
と教えてくれました。
私の感想は、
ふぅ~ん。
て感じでした。
私的には、異動希望を申し出たのに、それを、
「そんな希望は受け入れられない。」
と一喝した上司との関係性かと思いましたが・・・。
そうではなかったみたいですね。
とにもかくにも夫は本庁の現場勤務員としてなんとか1年目
をやり過ごしたようです。
これって、すごくないですか😁?
経験のない仕事を特に大きなミスなく乗り切ったんですよ!
異動前はかなりのビビりようでしたけどね・・・😅。
やっぱり、夫は、やればできるんですよ。
だって、本庁に異動になったのも、周囲の同僚や上司から、
できる人間だと判断されたから配置されたんでしょうから・
・・。
でも、もう何度言ったかわかりませんが、夫は、
・100点至上主義による失敗の恐れ
・成功体験ができない状態の指示待ち
・自己肯定感が低く自分に価値観を見出せない
というマインドをもった人です。
だから、自分に課すハードルがきっと高すぎたんですよ。
所謂、完璧主義者!
話を戻しますが、夫が本庁に配属後、1年が経過しても、巨大
プロジェクトの終わりは中々見えなかったようです。
夫も、プロジェクトの一つの歯車として、日々、全力疾走状態
でした。
家に帰ってきても、心ここにあらずで仕事のことばかり考えて
いる感じでした。
そんな、ある夜(※本庁に配属され2年目に入ったころ)、仕
事から帰ってきた夫が、小声で、
「今日、上司から〇〇県へ3か月間行ってくれって言われ
た。」
「泊まり込みだから、帰れるのは週末だけになる。」
「仕事の状況によっては週末も帰れないかも。」
と言ったのです。
え、え、え・・・😨。
どういうこと!?
私は耳を疑いました。
夫は、慣れない仕事をしていても、きっと、
家に帰れば家族に会える
という気持ちがあったからこそ、なんとか頑張ってこれたのだ
と思います。
実際に、夫は、この話を私にしたとき、派遣に関する悩みと共
に、
「MARIや子どもたちに会えなくなる・・・😭。」
と言って落ち込んでいましたから・・・。
それに、派遣先となる〇〇県の官庁で従事する仕事は、やはり、
一度も経験のない仕事だったようで、
「今の仕事だって理解できない部分が多いのに・・・。」
「職場の人間関係だってやっと慣れてきたのに・・・。」
「他県の官庁での仕事って、また一からだなぁ・・・。」
と、明らかに肩を落とし、力ない声でぼやいていました。
なんか、可哀そうになっちゃいましたよ😖。
次から次へと試練が・・・。
ちなみに、夫から聞いた話なのですが、この〇〇県の官庁への
派遣の話は、上司からトイレで並んで用を足している時に突然
言われたようです。
「〇〇は会議室で起きてるんじゃない、トイレで起きてるん
だ!」
なんてね。
県外官庁での勤務
夫は上司とのトイレ会議を終えた1週間後に、〇〇県の官庁へ
と派遣されていきました。
新幹線に乗り込む夫の背中が、非常に寂しそうだったのを今で
も思い出しますし、それを見送る子供たちも寂しそうでした。
当然、私も・・・😭。
余談ですが、夫は、〇〇県の官庁の近くにあるビジネスホテル
に泊まりこみ、そこから徒歩で仕事場へ通い、仕事が終わると
徒歩でホテルへ帰るといった生活をつづけたのです。
当時のことを夫に聞くと、夫は、
「携わったプロジェクトも、かなり大きなもので、やっぱ
り、概要を把握するのに大変だった。」
「また、〇〇県で俺の上司になった人は、元公認会計士だ
か税理士の方で、とにかく優秀なんだけど、部下にも求
めるレベルが高かった。」
「仕事がスピーディーにできない俺は、よく、嫌味を言わ
れたよ。」
「なんだか、母親から言われている感じだったから、ホテ
ルに帰ると連日落ち込んだよ。」
「とにかく知らない人たちばかりだし、仕事の内容も最初
は全然わからなかったし・・・。」
「家族と同じ空間を過ごせなかったのも辛かったなぁ。」
と言っていました。
その後、夫は3か月という約束だったのに、プラス4か月、つ
まり、トイレ会議からの計7か月、〇〇県の官庁で働いたので
す。
帰県したことには、ゲッソリしていましたね。
ちなみに夫は、その派遣の仕事も、大きなミスをすることなく
やり終えたようですが、自己肯定感の低さから、複数回重ねた
小さなミスにフォーカスして、結果、自分の仕事内容に合格点
が出せなかったようで、帰県後に私に、
「もっと仕事を頑張らなきゃ。」
「法律ももっと勉強しなきゃ。」
と言ったのです。
どんだけ、自分に厳しいんだよ~!!
この派遣終了後、夫は別のプロジェクトを抱える部署へ現場勤
務員としてさらに派遣されるのですが、そこで、新たに就いた
上司と衝突?をすることになるのですが・・・。
それは、また今度ということで。
ここからは、いつもの夫婦劇場😊
私:県外派遣7か月、本当にご苦労様でしたね。
夫:うん、ありがとう。
この派遣先での仕事もとにかく大変で・・・。
パニック状態だったよ。
私:何がそんなにパニック状態になっちゃったの?
夫:やっぱり仕事かなぁ。
仕事は、経験のないプロジェクトでしょ。
俺、係長だから、求められる仕事のレベルが高くてさ。
書類一つにとっても・・・。
それ以外に、精神的にきつかったのは、上司の嫌味だった
なぁ。
私:どんな嫌味なの?
夫:書類を作ってると、近寄ってきて、よく、
「なに遊んでるんですか。」
って言ってくるんだよ。
真顔で・・・😭。
大したことない嫌味に思えるかもしれないけど、俺は真剣
に仕事をしてるわけだからさ、そんな言い方ないじゃんか。
地味に辛かったね。
毎回、否定されているようで・・・。
でも、
「すいません。」
としか言えなかった。
仕事で結果が出せていなかったからなぁ。
書類も、赤ペンでよく直されたよ。
赤ペン先生かよ💢って思ったよ。
私:そんな上司なら、一言言ってやればよかったのに。
夫:〇〇県て言ってるけど、この県は俺とMARIが育った県じゃ
ん。
私:そうだね。
私たちの実家がある県だね。
夫:つまり、俺の爺さんや親父(※この時、おじいちゃんやお
義父さんは既に退職しています。)が元いた官庁なんだよ。
そして、現役で兄貴と妹の旦那も所属していたんだ。
だから、その嫌味を言う上司に逆らうことで、家族に迷惑
が掛かることを恐れてしまったんだ。
私:色々、しがらみがあったんだね。
夫:とにかく、常に緊張状態で脳が休まることがなかったよ。
その後、『うつ病』になるまでずっとね・・・。
私:最後に一言いわせて。
当時、私がTAKAくんに、
「あなたはできる人だからその職場に配属されたんだよ。」
って言ってたの覚えている?
夫:そんなこと言ってくれたんだ。
ごめん。
覚えてない。
この頃から、もうメンタルやばかったんだろうね。
おわりに
夫との会話の中にもありましたが、夫自身、本庁に行ってから
脳が休まらない
という状態がずっと続いたようです。
どんな優秀な機械でも電源を入れて稼働し続ければいつかは壊
れますよね。
夫も、脳をフル稼働しすぎて5年目で壊れてしまったんですね。
本当に、大変でした😭。
さて、次回は・・・、
【ついにメンタル崩壊!:本庁での3年目】
について書こうと思います。
本日も、お付き合いいただきありがとうございました。
では、また👋。