メンタル崩壊!アラフォー男と家族の奮闘記

メンタル崩壊!アラフォー男と家族の奮闘記

30代でうつ病になった人間と家族のその後の生き方。

夫が休職してからの奮闘記Part3😝

 

ごあいさつ

 こんにちは、MARIです。

 今回で、第6回目となります。

 皆さんは、過去の5話のブログを読んでいただき、どんな

 感想をお持ちですか?

 もしよければ、忌憚なき意見をいただければと思います。

 今後のブログを書く励みとなりますので、よろしくお願い

 いたします。

 

 話は変わり、夫のTAKAは、現在も2~3か月に1回病院に

 通い薬を処方してもらっていますが、見た目や言動、私や

 子供に対する接し方など、本当に昔の夫に戻ってきていま

 す。(昔より柔和でいい状態・・・、なんちゃって😅)

 時期的には「うつ病」発症から、はや5年?いや、まだ5

 年?

 この期間を長いと捉えるか、早いと捉えるか・・・。

 色々考え方はあると思いますが、私は、どちらでもなく

  順調である。

 と思っています。

 なぜなら、一番身近にいて常に彼の状況を観察していて、

 日々、回復を感じることができているからです。

 だから、私は、今後も、

  夫が完全復活するのを、ゆっくりと見守っていこう

 と考えています。

 

 とはいっても5年という年月を子供の成長に置き換えて

 みると・・・。

 当時、小学5年生だった長男は、

  現在 高校1年生

 小学4年だった二男は、

  現在 中学3年生

 1歳半だった長女は、

  現在 小学1年生

 になるわけですから、やっぱり、年月が経つのは早いと

 いうことになるのかなぁ。

 私も当時は30代、今は40代になるわけだし・・・。

 

 さて、今回は、

  夫が休職してからの奮闘記Part3

 で、サブタイトルは、

  【最悪期Part3:あの頃の子供たちは・・・】

 になります。

 

夫とはこんな父親です 

 まず初めに、夫が「うつ病」になる前はどんな父親だった

 かについて簡単に話しておきます。

 当時、夫はどちらかというと仕事人間でした。

 しかし、仕事がどんなに忙しくても、常に子供たちの様子

 を私から聞き、その成長を日々楽しむとともに、子供たち

 との会話を絶やさない優しい人でした。

 一方で、子供たちが言うことを聞かなかったり、約束を守

 らなければ躾の一環として叱ることもありましたが、必ず、

 叱った後は子供の気持ちのケアを欠かさない人でした。

 つまり、優しさと厳しさを使い分けることがとても上手な

 父親でした。

 だから、子供たちも夫のことが大好きでした。

 そして、私も生活面以外に子育ての面でも本当に夫を信頼

 していました。

 私たち夫婦の子育て論的な話は、今後、機会があれば話し

 ていこうと思います。

 

夫が『うつ病』になってからの状況など

 話は戻し、そんな父親でしたので、『うつ病』を発症して

 からの夫の変わりように子供たちの

 動揺も見て取れました。

 特に、長男は夫の変化に動揺しており、よく私に、

  「お父さんって、怒ってるの?」

 と聞いてきました。

 なんせ、夫は休職する前後、

  ・殆ど言葉を発っせず

  ・家族で食卓を囲まず

  ・寝室にこもり、ずっと横になっている

 といった状態だったので・・・😭

 また、私たち夫婦はお恥ずかしいですが、本当に仲が良く

 子供の前でもスキンシップを欠かさない状態でしたが、そ

 の夫が「うつ病」になったことでスキンシップも一切なく

 なりましたので、子供にとっては毎日が夫婦げんかの状況

 にも感じられたかもしれません。

 

 こんな状況でしたので、私は、この子供たちの動揺を感じ

 ながら、それに耐えられず、何度も子供の前で涙しそうに

 なりました。

 しかし、私は、夫が休職を決め自分の両親に連絡を入れた

 時、母親から、

  「私の前では泣いてもいいけど、子供の前ではメソメソ

   しちゃいかん。」

  「お母さんは笑っとらんといかんよ。(ちょっと方言😅

   )」

 と言われていたので、子供の前では笑顔を絶やさないよう

 に心がけました。

 また、子供に対する夫の、

  優しくも厳しい父親像

 を壊してはいけないと思い、早いうちに子供たちには、

  「今、お父さんは脳の病気なんだよ。」

  「だから、怒っているわけではないんだよ。」

  「でも、必ず治るから、それまでそっとしておいてあげ

   て。」

 と伝えたのです。

  

 また、子供たち特に長男と二男は、学校や習い事があった

 りしましたが、夫のことを理由に休ませたりやめさせたり

 することはありませんでした。

 夫と同じ強くて優しい男の子に育って欲しかったし、習い

 事をやめたりして夫に申し訳なさを感じてほしくなかった

 からです。

 あ~、涙が出てくる・・・😭。

 

ここからは、いつもの夫婦劇場😊

 私:今回も当時のことを覚えているか、TAKAくんに聞いて

   みよ。

   TAKAくん、当時の子供たちがどんな状況だったか覚え

   てる?

 夫:すみません・・・、覚えておりません。

 私:だよね。

   長男は特にTAKAくんのことを心配していたし、戸惑っ

   ていたね。

   顕著でしたよ。

 夫:そうか~、子供たちにも申し訳なかったな。

 私:今だから思うんだけど。

   TAKAくんと一緒に私もメンタル崩壊にならなくて本当

   によかったよ。

   何故かというと、一般的に子供は母親が面倒を見るで

   しょ。

   だから、言葉は悪いけど母親さえしっかりしていれば、

   子供は何とかなるんだよ。

   朝ごはん作って食べさせて、学校に笑顔で送り出す。

   学校から帰ってきたら、笑顔で迎えて、習い事に送り

   出す。

   習い事から帰ってきたら、夜ご飯を食べさせてお風呂

   に入れ、寝かせる。

   会話を絶やさない。

   子供から話をさせること、その雰囲気づくりが大切だ

   とおもったなぁ~。

 夫:そうなんだね。

   学生の頃はかわいくてか弱いMARIちゃん

   だったのに・・・。

   強い女性になったな。

   そして、その母親に育てられた子供たちは本当にしっ

   かり育ったな。

   感謝しかないよ。

 私:ほんといい子に育ってくれたね~。

   子供たちにも感謝だわ。

 夫:ところで、子供たち、特に上2人は当時のこと覚えて

   いるのかな?

 私:それは私も聞けてないんだよね。

   二男が今、高校受験真っ最中だから、心に動揺を与え

   たくないから、受験が終わったら皆で、鍋でもつつき

   ながら話してみようかなぁ~と思っているだよね。

 夫:そうだね。

   しかし、俺って当時のこと全く覚えていないんだよな

   ぁ~。

 

おわりに

 今回は、以上で終えたいと思います。

 読者の皆さん、お付き合いいただきありがとうございました。

 次回は、

  【最悪期Part4:この時期の生活状態はまだ・・・。】

 を書こうと思います。

 ご質問お待ちしてま~す😀。

 では、また👋。