メンタル崩壊!アラフォー男と家族の奮闘記

メンタル崩壊!アラフォー男と家族の奮闘記

30代でうつ病になった人間と家族のその後の生き方。

夫が休職してからの奮闘記Part2😰

 

ごあいさつ

 読者の皆さん、こんにちは😀

 ここ最近、だいぶ暖かくなってきましたね~。

 あ、そうえいば、夫が言っていたんですけど、

  メンタルを爆上げするには、日の光を浴びながら散歩をする

 のがいいらしいですよ。

 メンタル崩壊中の方は中々外出するのが難しいでしょうが、規

 則正しい生活を心がけ、朝になったらカーテンを開けて日の光

 を浴びてみてはいかがですか?

 

 さて、今日は、

  夫が休職してからの奮闘記Part2

 でサブタイトルは、

  【最悪期Part2:私がメンタル崩壊しなかった理由】

 になります。

 サブタイトルから推測できるかもしれませんが、何を隠そう、

 実はこの最悪期、私のメンタルは崩壊するかどうかの瀬戸際で

 した。

 でも、結論から言うと、私はこの最悪期を乗り切ることができ

 たのです。

 

最悪期の私の状態

 前回のブログに書いたとおり、この時期、夫は完全に廃人と化

 していました。

 そして、その状態に一番応えたのが、何を隠そう私自身でした。

 夫は仕事柄、これまでに何度も出張などで家をあけることがあ

 りました。

 しかし、夜又は翌日になれば元気に帰宅してくれていました。

 その状態が当たり前になっていた私の思考回路は、夫が『うつ

 病』になったことで完全にショートしてしまいました。

 なんせ、私の知る夫のTAKAが、家の中から消え(※実際には家

 にいるのですが全く別人になってしまったという表現です。)

 てしまったのですから・・・。

 

 私は、今まで、かなりの部分(※子育てに対する方向性、生活

 費など)で夫に頼って生きてきました。

 このため、夫が廃人と化したことで、家の中には頼れる存在が

 いなくなってしまったのです。

 もちろん、3人の子供たち(※当時、小学5年生の長男、小学

 4年生の二男、1歳半の長女)は私の心の支えにはなってくれ

 ていましたが・・・。

 そんなこんなで、私は夫が「うつ病」と診断を受け休職するま

 での間、

  夫がこんな状態で、この先、どうやって生活していけばいい

  のだろう。

 という考えが脳内をエンドレスに駆け巡っていました。

 

 どちらかというと、私の性格はポジティブ思考で、ちょっとし

 たことでは動じず、口癖というか座右の銘というかは、

  何とかなる!

 でした。

 しかし、さすがにこの最悪期には、この口癖が一切出ることは

 ありませんでした。

 

 では、この時、私はどうしたか・・・。

 

 私は、迷わず人の力を借りることにしたのです。

 私は、愛知県の中核市でやさしい両親の間に3番目の末っ子と

 して生まれ何不自由なく育ってきたので、根っからの甘えん坊

 でした。

 ですから、その甘え上手が、この時にいい方向へと進んだと思

 います。

 

 少し話を戻しますが、夫は病院で「うつ病」と診断を受けたそ

 の日、まだ、廃人完全体の一歩手前であったため、今後の生活

 苦を予想してか、真っ先に自らの両親に電話をし、病気の内容

 と自分以外の私たち家族の面倒見をお願いしていました。

 そして、私も、その日のうちに、自らの両親に事実を告げ、や

 はり、今後の協力依頼をしました。

 また、私は、仲のいい友達数人に夫の病気を包み隠さず話しま

 した。

 後にも先にもこの行為により、各方面から生活面でも精神面で

 も協力を得られ、それが、結果としてメンタル崩壊といういば

 らの道を進みかけていた私を救い出してくれ、正常な道へと導

 いてくれたのです。

 とはいっても、私がメンタル崩壊という崖っぷちに立っていた

 ことは間違いなかったのですが・・・。

 

ここからは、いつもの夫婦劇場😊

 夫:MARIちゃん、当時は本当に迷惑をかけたね。

 私:正直、覚えてないでしょ。

 夫:う、うん。

 私:私は、この時期にあることを決意したの。

 夫:何を?

 私:TAKAくんと一緒に私も必ず病院へいくこと。

   先生の言ったことは一語一句聞き漏らさないこと。

   TAKAくんと私が協力してこの 病気と闘うこと。

 夫:さすが看護師さん。

   頭が下がります。

 私:そうでしょ。

   なんせ、TAKAくん、病院に行っても自分の症状を先生に説

   明できなかったでしょ。

   それに、先生の言ってくれることや薬の飲み方なんかも全

   く理解してなかったんだよ。

   私は、さっき言ったとおり、病気と闘うことを決めたから、

    ・先生に対し、TAKAくんの状態を客観的に伝えること

    ・薬の飲み方や薬を飲むことで現われる副作用などを知

     ること

   に努めたの。

   病状が良くなっているのか、それとも、悪くなっているの

   かを認識したかった。

   そして、そうすることが私のメンタルを保つ上でも必要だ

   と感じたから。

 夫:そうか、今でも病院についてきてくれるのもそういう理由

   からなんだね。

   ありがとう。

   ところで、当時、通院する際、長女はどうしてたんだっけ? 

 私:TAKAくんの両親が県外から足繁く通ってくれて、面倒を見

   てくれていたんだよ。

 夫:ふ~ん、そうだっけか。

   そういえば、泣き虫のMARIちゃんが泣いていた記憶がない

   んだよね~、この時期。

 私:そもそも、この時期の記憶ないでしょ。

   この時期私は泣いてる暇なんてなかった・・・。

   というのは嘘で、TAKAくんが薬を飲んで死んだように寝て

   いた時に、

    ・自分の母親に泣きながら電話したり

    ・長女と庭で抱き合って泣いたり

    ・友達に話を聞いてもらいながら泣いたり

   していたんだよ。

   知らないでしょ。

   当時、1歳半だった長女が覚えたての言葉で、

    「ママ、大丈夫?」

   って言って私の涙を拭いてくれたんだよ。

   この時の長女の声は、私のスマホに録音してあって、たま

   に聞いているんだよ。

 夫:そうか~、本当に申し訳なかったね。

   周りの人に感謝しなきゃいけないね。

   本当、共倒れにならなくてよかったよ。

 私:危なかったけどね~😨

 

おわりに

 今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 さて、次回は、

  【最悪期Part3:その時、子供たちは・・・。】

 について書こうと思います。

 では、また👋